日々のこと

昭和61年生まれの既婚子なしの女が、思ったことをだらだらと話すブログです。

わらび餅のゆううつの話

以前からわらび餅を食べるたびに思っていた。

我々日本人は、
わらび餅の容器に残るきなこを、
"すべてすくうのは無理だから食べない"
としているが、
日本の文化に不慣れな外国の方々は、
あれをどうにかしてすくって食べているのではないか?
すくえもしない爪楊枝で、
一生懸命きなこを"すくい"、
(※正しくは"楊枝の先端につける")
それをくり返しては舐め、
繰り返しては舐めているのではなかろうか?


まあ、吾輩とて。
人前で食べる時以外は、
すくえもしない箸ですくっては舐めることを、
食べ切る最後に二度ほど繰り返す。


あまり行儀の良くないこととは思いつつも、
ひとりっきりを良いことに、
そんなことをしてしまう。
これもまた一種の"罪の味"である。
容器に残ったきなこを、
スプーンですくって食べているわけではないのだから"いい"‥
いや、
"いい"わけはないのだが。
人それぞれに"良し悪し"というものが存在し、
吾輩のソレはスプーンですくって食べているのでなければ"いい"ということになるようだ。
つまり吾輩には、
そう立派な人間性は備わっていないということになる。


この頃、海外で人気のカフェの記事を読んでいると、
こぼすことを醍醐味とした飲み物や食べ物が名物だという店が多いように感じる。
例えば、わざとカップからあふれさせ、ソーサーにこぼれさせる‥みたいな飲み物だ。
吾輩も"てんこ盛り"にロマンを感じる側の人間なので、その良さは良くわかる。


一昔前のキャバクラのお嬢さんたちが、
髪の毛をうずたかく盛っていたように。
ゆでたもやしやキャベツを、
天高くどんぶりに盛るラーメン店のように。
我々人間は"盛る"ということに、これまた一種のロマンを感じるのであろう。


中国では大皿に盛られた料理を食べ残すことがマナーとされているようだから、
昔から贅沢の極みの一環、
もしくは洒落、
あるいは純粋な文化として"盛る""余分"といったことが全世界でなされてきたのかもしれない。


わらび餅のきなこはどうなのだろう‥
容器に余分に入れていることも考えられるが、
元々ついていたきなこがはがれたということも考えられる。
いずれにせよ、
はがれたきなこおよび余分に入れてあったきなこの皆を食べることは、至難の業である。
というか、
あれは食べないで捨てるというのがイチ日本国民としての感想だ。


ただ、この文化?マナー?様式?を、海外の方々が知るはずもないわけで。
だから吾輩はわらび餅の容器に
『残ったきなこは食べなくともかまいません』
と書かれていないことに、
砂糖3グラムほどの不安を感じるのである。


砂糖3グラムが多いのか少ないのかの判断は、
読んでいるあなたにゆだねることにする。

 

 


※次回は4/11に上げます