日々のこと

昭和61年生まれの既婚子なしの女が、思ったことをだらだらと話すブログです。

きゅうりの浅漬けの話

塩昆布でもんだきゅうりの浅漬けが大好きで、吾輩は年がら年中、
その浅漬けを作っている。
実家で複数の味のきゅうりの浅漬けが出ていた影響なのだが、
これと白米さえあれば、
味噌汁すらもいらない。
この"きゅうりまんま"には、
麦茶や番茶のほうが合ったりもする。


そのせいか、
吾輩はかっぱ巻きも好きで、
かっぱに出会ったら、
腰を抜かすよりも先に、
きゅうりについておおいに語り合いたいと思っている。


また吾輩は、塩昆布の浅漬けと同じくらい、
きゅうりのからし漬けも好きなのだが、
(はて‥かっぱはからいものは大丈夫なのかしらん?)
と、妙ちきりんなことまで考えてしまっている。
まぁ、吾輩の数万倍、きゅうりを食らい、きゅうりに精通しているであろうから、
今さら知らないきゅうり料理なぞあるまい。


ちなみにスーパーで売っている一本漬けなどのたぐいは買わない。
あれは吾輩の求めている味ではなく、
当たり前だが、きゅうりの一本漬けの味なのである。
あれと白米があっても、
気は進まないし、
食は進まないし、
箸も進まない。
味噌汁が欲しくなり、
梅干だの納豆、海苔なんかも欲しくなる。


こうして話してみると、
どうやら吾輩の言うところの"きゅうりまんま"は、吾輩か母の漬けたものに限るようだ。
どちらも決まって致死量の塩を使うため、
しょっぱくてご飯をかきこまなくてはならない。


漬物類は、しょっぱければ水につけ、塩を抜けばいいのである。
崇拝する、
土井善晴大先生もそうおっしゃっていた。
濃ければ薄めればいいし、
薄ければ濃くすればいい。
吾輩のような料理無精は、
料理に取り返しがきくと思い込まなければ、
どんどん疎遠になってしまう。
物価値上げの旋風に負けないためにも、
料理という純粋な節約術を駆使してゆきたいものである。


んで。
少し前。
いつものように"テメエの味噌"にも及ばないきゅうりの浅漬けをポリポリしていた訳だが。


ふと、


(6本のきゅうりを薄切りにすると、おしりを落とした12個のきゅうりの端ができるはずなのに。どうして、端が12個以上あるように感じるのだろう‥?)


と、思ったのである。
正直な話、
これは前々からうっすらと感じていたことでもあった。


浅漬けを詰めたタッパーの中には、
あんなにたくさんもの端を食べたのにもかかわらず、
まだ、薄切り状でない、
おしりを切り落とした、いびつな四角形のきゅうりが残っている。
別に端が嫌いな訳ではないのだが、
薄切り状のもののほうが味がよくしみていて、おいしいのだ。


ダイニングテーブルの真向かいに座っている夫も、
吾輩同様、
このうまくもまずくもない浅漬けをポリポリしている‥
ふたりもの人間がポリポリしているのだから、
12個の端もポリポリされているはずなのに‥


(ナゼに‥?)


ポリポリついでに今しがた思ったことを夫に伝えると、


「ああ、俺、きゅうりの端は食べないのよ!」



‥‥


‥‥‥


その話の流れで、吾輩は温かいうどん汁の具材としてちくわを斜め切りにして入れるのだが、
そのちくわの端も食べないということを教えてもらった。


ひとまずきゅうりの端は12個以上にはなっていないようだ。
そして12個全てを吾輩が食べているということもわかった。


はは‥ははは。


とどまる事を知らない時間(とき)の中で、
吾輩のふさがる事を知らないあいた口には、
これからもたくさんの"端"が詰められてゆくのであろう。

 

 


※次回は11/22に上げます