日々のこと

昭和61年生まれの既婚子なしの女が、思ったことをだらだらと話すブログです。

親知らずを抜いた時に感じたことの話

前回の続きになるが、吾輩の立派過ぎる親知らずは、
緊急の手術により、
無事抜歯するに至った。


残りの歯と神経を抜くという手術だったのだが、
麻酔のおかげで痛みは全くといっていいほど感じられなかった。


身体に悪寒がはしるほどの、
あの恐ろしい頭痛から解放されるのであれば、
吾輩は何でもしたであろう。


術後、
頭がちぎれるような痛みが、
この親知らずが原因であれば、
無事に解放されるであろうものの、
いやはや、
眠れない夜を過ごし、
この一日とて、
のんきに昼寝なぞしていられるようなものではなかったため、
歓喜したり、
安堵したりする力も残っておらず、
夜の7時頃、
自宅に着いた時には、
ただ空腹を満たすために適当なお粥をこしらえ、
それを胃におさめ、
処方された抗生剤を飲んだら、
さっさとベッドに潜り込んでしまった。


一回目の診察の際と術後、
歯科の先生に
「痛かったでしょう‥」
と、吾輩が感じていた激しい頭痛についてなぐさめの言葉をかけてもらったのだが、
吾輩にとってそれが、
非常なる救いに感じられた。


痛みの感じかたは人それぞれである。


吾輩の同級生諸君(※女性)は皆、
学生時代に舌やら腕、
首にピアスの穴を開けていた。
腰にタトゥーを入れた同級生も二名ほどいたが、
ひとりは結婚を機にそれを消したらしい。


吾輩も耳たぶにこそピアス穴はあるが、
他の箇所は痛そうであけたことがない。
まあ、そもそも、
そうしたことを‥言葉は古いが
"イケてる"
と思わなかったことが第一なのではあるが。


とはいえどれも痛そうである。
舌に穴を開けるのも。
腰に血をしたたらせ、
絵を描いてゆくのも。


そういえば、
アイプチ全盛期のチルドレンであった我々世代ではあるが、
その当時では珍しいことになるのだろうか‥?
例の同級生の中には二重まぶたにするための手術をした者もいた。


なぜか、自分の周りには大変痛みに強い人間が多く、
その子らが感じる痛みのレベルで言えば、
吾輩の万力に挟まれたかのような頭痛なぞ、
(へのかっぱなのではなかろうか?)
そんなことを思い、
緊急手術となった日の朝も、
歯科に電話んかけることをためらったのである。


この痛みは、
本当に
"痛い"
と表現して良い痛みなのか。
一時的なもので、
なにかのはずみで消える痛みなのではなかろうか。
何度も考えてはみたが、
頭痛はおさまることなく、
気力までもむしばんでいった。


結果、
その日中に抜歯してもらえることになったわけだが、
"痛み"というものは、
誰かとシェアしたり共感することができない。
わかち合うことができないものだからこそ、
先生に
「痛かったでしょう‥」

と、吾輩の痛みをわかってもらえたことに、非常なる救いを感じたのである。


そんな救いが、
この世にたくさん生まれればいいと思う。

 

 


※次回は2/7に上げます