日々のこと

昭和61年生まれの既婚子なしの女が、思ったことをだらだらと話すブログです。

美しい人の話

通勤時によく会う女性が居る。乗り換え駅の短いエスカレーターに乗る際、
女性は対向通路からやってきて、
ほぼ100パーセント、
吾輩より先にそのエスカレーターに乗る。
別に吾輩を見つけたとたん早足になるのではない。
たまたま女性の歩幅と吾輩の歩幅の兼ね合いで、いつもそうなるのである。
おそらく、女性は吾輩の存在にすら気づいていないであろう。
なにせ吾輩は彼女の視界にほぼ居ないのだから。
もちろん、背後も見えてしまうとか、首がフクロウ並に動くとかの超人ならば、話は違ってくる。が、そういう超人オーラは出ていないし、
むしろその逆で、
非常に真面目そうなのである。


なぜならばその女性は毎回
"ぬかりない"。
ざっくり表現すると、
全身のどこにもシワがないのである。


全身というのは、
女性の着ているシルクのブラウスおよびフォーマルなウール地の膝丈スカートである。
それら上下の衣類はいつもピッシリとアイロンがかけられ、
(毎回クリーニングに出しているのかしらん?)
と思えるレベルである。
自分でアイロンをかけているのだとしたら、
プロ顔負けの腕であろう。


また、ライトベージュのストッキングは伝線していたためしがない。
そこからのぞく色白の脚もきちんと脱毛がされていて、
白く艶やかな脚は本当に見事と言える。
(清潔感とはまさにこのことよねー‥アッパレ!)


そしてそれらの"ぬかりなさ"をより際立たせているのが、
韓国人女性のように長いまっすぐな髪の毛である。
腰上まであるそれは、
明るくも暗くもない、
落ち着いたブラウンに染められ、
ストレートパーマ特有のつやが波打つほどの、
美しいストレートロング。
手入れのゆきわたったその艶髪がまた、
吾輩を
(ぬかりなきレディー!)
とうならせるのである。


吾輩の敬愛する作家、
向田邦子さんの短編集に、
"だらだら坂"
という作品がある。
ネズミというあだ名のついた中小企業の社長が、
マンションの一室に愛人を囲っているという話で、
その愛人の名は"トミ子"といい、
"トミ子"は太り過ぎていて、
野暮ったいという理由から、
その企業の採用試験を不採用にされる。


吾輩は毎朝、
エスカレーターで例の女性に出会うたびに、
この"トミ子"を思い出す。

 

色が白いことだけが取り柄の"トミ子"は、マンションの隣部屋に越してきたスナックのママと仲良くなり、二重まぶたにするための整形手術をしたり、次第に垢抜けていく。


例の女性が垢抜けているからとかではない。
女性が現代における標準より太っているように思うという吾輩の感覚が、
無闇に二人を会わせるのであろう。


人の美しさの基準とは。
何をもって野暮というのか。
解明されない謎を、
生きているうちは考えつづけなければならない。

 

 


※次回は5/23に上げます